“DIRECTORS”PART.1
「ダーティ・ヒーローを描く名手たち」

Siegel, Peckinpah, Aldrich, Melville, Leone: Masters of Anti-Hero Films



ドン・シーゲル

Harry (Clint Eastwood): You got to ask yourself one question; do I feel lucky. Well, do you, punk?
「ダーティハリー」より)

TNHarry.jpg (6916 バイト)クリント・イーストウッドが、サンフランシスコ市警察殺人課のハリー・キャラハン刑事を演じた「ダーティハリー」(1972)は、彼のハリウッドスターとしての座を決定的なものにしたアクション映画の傑作である。初めてこの映画を見た時には、その凝縮された無駄のないストーリーテリングと、シャープで緊張感に満ちた演出が強烈な印象を残し、その後何度も見直して作品の構造を研究したものである。シリーズの2作目「ダーティハリー2(Magnum Force)」(1973)も大いに期待して見たが、これは派手なアクションシーンが豊富にあるにもかかわらず、間延びした緊張感のない作品でがっかりさせられた。1作目の監督がドン・シーゲル、2作目がテッド・ポストだった。同じ題材でも監督の技量によってこうも映画の完成度が違うものかと思い知らされた。これで、ドン・シーゲルという名前を覚え、彼の過去の監督作品をビデオ等で見まくり、その一見荒々しいが実は緻密で知的な演出に魅了され、すっかり大ファンになってしまった。ドン・シーゲルは私にとって「監督によって映画を見る」ということの原点だったような気がする。

シーゲル映画の主人公たちは、単なるヒーローではなく、いずれもダーティな側面を持ったキャラクターばかりで、これが彼の映画の最大の魅力にもなっている。その名も“ダーティハリー”ことハリー・キャラハンは、犯人を追いつめ44マグナム拳銃で脚を撃ち抜き、倒れた相手の傷口を靴でグリグリ踏みつけて拷問するような暴力刑事である。それでも観客がハリーに感情移入するのは、彼が追う殺人鬼サソリ(アンディー・ロビンソン)がこれまたとてつもないワルで、冷酷非情、極悪非道の上に狡猾で粘着質、ハリーが一旦捕まえても不当逮捕を理由にスルリと釈放され、また凶悪犯罪を繰り返すというもうどーしよーもない奴だからであり、この“ダーティ・ヒーロー”対“極悪人”の血で血を洗う死闘は壮絶を極めるものとなる。ラスト、スクールバスを乗っ取ってサンフランシスコ市に身代金と逃亡用のジェット機を要求するサソリに、市当局はなすすべもなく言いなりになってしまう。人質となった子供たちの命を尊重する市長に「サソリには絶対手を出すな!」と命じられたハリーは、これを無視してサソリ逮捕に向かう。陸橋の上から走ってきたスクールバスの屋根に飛び降りて、いきなり銃撃戦である。サソリと一緒にバスに乗っている子供たちが怪我しようが死のうが知ったこっちゃないのである。「とにかくサソリをブチ殺す」それしか頭にない。

傑作「突破口!」(1973)では、田舎の小さな銀行ばかりをサっと襲ってサっと逃げる狡猾な銀行強盗チャーリー・ヴァリック(ウォルター・マッソー)が主人公だが、襲った銀行に偶然預けられていたマフィアの大金を盗んでしまったことから、マフィアの送り込んできた凄腕の殺し屋モリー(ジョー・ドン・ベイカー)に執拗に追われるはめになる。ここでも“ワル”対“ワル”の対決の図式になっており、とぼけた雰囲気のマッソーと狂暴なベイカーがいずれも頭脳明晰なワル同士で、互いに虚々実々の駆け引きを繰り広げる。この映画はラストが特に痛快である。1970年代に作られた犯罪アクション映画のベスト10に入る傑作だと思う。

上記2作品以外でも、「殺人者たち」(1964)の殺し屋チャーリー(リー・マーヴィン)、「突撃隊」(1961)のアメリカ兵リース(スティーヴ・マックイーン)、「刑事マディガン」(1967)のダン・マディガン(リチャード・ウィドマーク)、「マンハッタン無宿」(1968)の保安官クーガン(クリント・イーストウッド)、「真昼の死闘」(1969)のアウトロー(イーストウッド)、「ラスト・シューティスト」(1976)の老ガンマン J・B・ブックス(ジョン・ウェイン)、「テレフォン」(1977)のKGB諜報員ボルゾフ(チャールズ・ブロンソン)、「アルカトラズからの脱出」(1979)の脱獄囚モリス(イーストウッド)等、シーゲル映画では“ダーティ・ヒーロー”を演じる男優の魅力が最高に光っている。

シーゲルはその他にも、ジャック・フィニィの小説「盗まれた街」を映画化した「(未公開)ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956/主演:ケヴィン・マッカーシー)という傑作SFスリラーや、「危険な情事」「氷の微笑」の原型ともいえる「白い肌の異常な夜」(1971/主演:クリント・イーストウッド)という心理サスペンスの佳作も手がけている。更に、ヒッチコック風のスパイスリラーを狙った「ドラブル」(1974/主演:マイケル・ケイン)や、コメディ調の犯罪映画「ラフ・カット」(1980/主演:バート・レイノルズ)、「(未公開)Jinxed!」(1982/主演:ベット・ミドラー)なんかもあるが、こういうジャンルはどうも肌に合わないようで、あまり成功していない。

シーゲル映画の音楽というと、何といってもラロ・シフリンとのコラボレーションが有名で、「マンハッタン無宿」「白い肌の異常な夜」「ダーティハリー」「突破口!」「テレフォン」の5本で組んでいるが、どのスコアも素晴らしい。

個人的に何度見ても面白いシーゲル作品のベスト3を挙げるとすると、「ダーティハリー」「突破口!」そして「テレフォン」だろう。この3本はいまだに時々見直している。

 

<ドン・シーゲル フィルモグラフィー>

「(未公開)仮面の報酬」(1949)「抜き射ち二挺拳銃」(1952)「(未公開)暗黒の鉄格子」(1952)「第十一号監房の暴動」(1954)「地獄の掟」(1954)「USタイガー攻撃隊」(1955)「(未公開)ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956)「暴力の季節」(1956)「殺し屋ネルスン」(1957)「(未公開)裏切りの密輸船」(1958)「グランド・キャニオンの対決」(1959)「(未公開)疑惑の愛情」(1959)「燃える平原児」(1960)「突撃隊」(1961)「殺人者たち」(1964)「犯罪組織(シンジケート)」(1965)「(TV)太陽の流れ者」(1967)「刑事マディガン」(1967)「マンハッタン無宿」(1968)「真昼の死闘」(1969)「ガンファイターの最後」(1969)「白い肌の異常な夜」(1971)「ダーティハリー」(1972)「突破口!」(1973)「ラスト・シューティスト」(1976)「テレフォン」(1977)「アルカトラズからの脱出」(1979)「ラフ・カット」(1980)「(未公開)Jinxed!」(1982)

<映画賞>

1988年にLA批評家協会賞の経歴賞を受賞

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サム・ペキンパー

Pike (William Holden): Let's go.
Lyle (Warren Oates): Why not.
「ワイルドバンチ」より)

スローモーションによる銃撃戦シーンを見ると「あ、ジョン・ウーみたいだ」と思う人が多いのだろうが、あの手法は別に彼がはじめたわけではない。ハイスピード撮影と細かいカッティングのモンタージュによる壮絶で華麗なアクション演出;これはサム・ペキンパー監督が彼の最高傑作「ワイルドバンチ」(1969)で見せた独特の手法で、公開当時は“バイオレンスの美学”とアクション映画ファンに絶賛される一方で、あまりに激しい暴力描写に否定的な批評も多かった(因みに、ジョン・ウーは自分が影響を受けた映画としてジャン=ピエール・メルヴィル監督の「サムライ」黒澤 明監督の「七人の侍」、そしてサム・ペキンパー監督の「ワイルドバンチ」の3本を挙げている)。あるインタビューでこの手法について質問された際にペキンパーが語っているところでは、彼は銃で撃たれたことがあり、その時に周りのあらゆる動きがスローモーションになったのだという。そう言われると非常に説得力があるが、そもそも銃で撃たれた経験がある映画監督というのも珍しい。

この「ワイルドバンチ」は、ペキンパーによる演出・脚本、ルシアン・バラードによる撮影、ルイス・ロンバードによる編集、そしてジェリー・フィールディングによる音楽と、あらゆる点において超一流の傑作西部劇で、ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ロバート・ライアン、エドモンド・オブライエン、ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソンといった名優たちの抑えた演技も素晴らしい。冒頭の銀行強盗シーン、中盤の列車襲撃シーン、そしてラストの延々と続く壮絶な銃撃戦シーンといった見せ場での、ハイスピード撮影と細かいカッティングの組み合わせによるペキンパー独特のアクション演出は、今観ても全く色褪せることのない迫力と美しさである(このスローモーションの手法はジョン・ウー以前にも多数の監督によって真似されているが、その大半は単に人が撃たれて血がドバーっと出る瞬間をスローでダラダラと撮っているだけの安易な演出でうんざりさせられる。ペキンパーの手法はそもそもアクションが非常に細かくカット割された見事なモンタージュになっており、そこにスローモーションの短いショットが精密に細かく散りばめられていて、これが息を呑むような緊張感を生むのだ)。

この映画は基本的に“裏切りと友情”のドラマである。ホールデン率いるワイルドバンチ(強盗団)のメンバーたちの友情。元は相棒だったホールデンとライアンの友情と裏切り……。ストーリーの後半で、メンバーの1人の若者がホールデンたちを裏切って、盗品の武器を横取りするが、その若者は強大な敵に捕らわれてしまい、残虐な拷問を受ける。「裏切った奴だから仕方がない」と一旦は彼を見捨てたホールデン、ボーグナイン、オーツ、ジョンソンの4人が、彼を救うために数百人の軍隊に対して捨て身の襲撃に向かうラストシーン。ここでの、ホールデン“Let's go.”、オーツ“Why not?”というシンプルなやりとりが最高にかっこいい。

TNGetaway.jpg (9365 バイト)当時実生活でもカップルだったスティーヴ・マックイーンアリ・マッグローが夫婦の銀行強盗を演じる「ゲッタウェイ」(1972)も、“裏切り”のドラマである。マフィアのボス(ベン・ジョンソン)が積んだ保釈金で服役中の刑務所から出られたマックイーンが、ボスに銀行強盗の仕事を頼まれる。銀行の襲撃自体はうまくいくが、その後でマックイーンは強盗団のメンバーの1人、ルディ(アル・レッティエリ)の裏切り、仕事を頼んだマフィアのボスの裏切り、そして妻の裏切り(不貞)というトリプルパンチをくらう。この映画でもペキンパーのアクション演出は冴えまくっており、中盤の警察との銃撃戦や、ラストのモーテルでのマフィア一味との銃撃戦でのハイスピード撮影が凄まじい迫力。この作品の脚本は、ジム・トンプソンの小説を基にウォルター・ヒルが書いているが、ヒルはこの映画のリメイク版(1994年)の脚本も書き、自分で監督するはずだった(結局ロジャー・ドナルドソンが監督した)。リメイク版はアレック・ボールドウィン=キム・ベイシンガー夫妻の主役カップルに、ジェームズ・ウッズ(ジョンソンの役)、マイケル・マドセン(レッティエリの役)というキャストだったが、ペキンパーのオリジナルには遠く及ばない凡作。そのそもこの映画はストーリー自体がさほど凝ったものではないので、演出のパワーでグイグイ引っ張っていかないと面白くならないのである。ヒルが自分で監督していればもう少しましだったかもしれない。

ペキンパー唯一の戦争映画である「戦争のはらわた」(1977)でも、仲間の“裏切り”がテーマになっている。第二次大戦中、ロシア東部戦線でのドイツ軍を描いたこの映画では、歴戦の勇士である叩き上げの伍長(ジェームズ・コバーン)と、彼の上官となったプロシア貴族出身の臆病でプライドばかり高い大佐(マクシミリアン・シェル)との戦場での確執がストーリーの主軸になっている。この“臆病な上官による部下の裏切り+部下の復讐”という図式は、ロバート・アルドリッチ監督の傑作「攻撃」(1956)にも通ずるテーマだが、“敵に殺されるのは戦争だから仕方がないが、戦場で味方に裏切られるのだけは絶対に許せない”という主人公の凄絶な怒りが画面からにじみ出ている。延々と続く戦闘シーンでのアクション演出も例によって凄まじい。

ペキンパーの監督作品にはその他にも、「昼下りの決斗」(1962)「砂漠の流れ者」(1968)といった暴力性の低い西部劇や、「ガルシアの首」(1974)「キラー・エリート」(1975)「バイオレント・サタデー」(1983)等のアクション映画があるが、個人的には上記3本が特に気に入っている。また、ペキンパー映画の音楽というと、ジェリー・フィールディングとのコラボレーションが有名で、「ワイルドバンチ」「わらの犬」「ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦」「ゲッタウェイ」(この作品のみマックイーンがフィールディングの音楽をリジェクトし、クインシー・ジョーンズに作曲を依頼した)「ガルシアの首」「キラー・エリート」で組んでいる。ドイツの映画会社が製作した「戦争のはらわた」ではフィールディングがアメリカ人であるとの単純な理由で起用されず、それ以降ペキンパーとは二度と組んでいない(この映画の音楽はオーストリア人のアーネスト・ゴールドが担当した)。

ところで、サム・ペキンパーは、前述のドン・シーゲル監督と師弟関係にある。彼は下積みの頃にシーゲルの家に居候しており、シーゲルが監督した「(未公開)ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956)では脚本の執筆に参加している他、ガソリンスタンドの店員チャーリー役で出演もしている。また、「コンボイ」(1978)以降、しばらく現場から離れていたペキンパーは、リハビリテーションを兼ねてシーゲルの遺作「(未公開)Jinxed!」(1982)で第二班監督を務めている。その後に監督した「バイオレント・サタデー」(1983)が、彼自身の遺作となった。

 

<サム・ペキンパー フィルモグラフィー>

「荒野のガンマン」(1961)「昼下りの決斗」(1962)「ダンディー少佐」(1964)「砂漠の流れ者」(1968)「ワイルドバンチ」(1969)「わらの犬」(1971)「ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦」(1972)「ゲッタウェイ」(1972)「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(1973)「ガルシアの首」(1974)「キラー・エリート」(1975)「戦争のはらわた」(1977)「コンボイ」(1978)「バイオレント・サタデー」(1983)

<映画賞>

「ワイルドバンチ」で1969年度アカデミー賞の脚本賞にノミネート

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ロバート・アルドリッチ

 

女子プロレスの世界を描いたピーター・フォーク主演の「カリフォルニア・ドールス」(1981)という映画がある。題材が題材だけにいかにもキワモノっぽい印象があるが、見てみるとこれが痛快無比のスポーツ根性映画で、特にラストのプロレスの試合シーンは「ロッキー」以上に盛り上がる。これが“骨太な男性映画の巨匠”ロバート・アルドリッチ監督の遺作であるというのは、なんとも皮肉な感じがする。彼は一貫して“男同士の執念の対決”を豪快に描き続けた監督なのである。

「飛べ!フェニックス」(1965)は、私が特に好きなアルドリッチ監督作品だが、この映画には、ものの見事に男しか出てこない。男ばかりが乗った石油会社の輸送機がサハラ砂漠上空で突然の砂嵐に巻き込まれて墜落し、生き残った操縦士(ジェームズ・ステュワート)と乗員・乗客たちが何とか脱出を試みるという話なので、男しか出てこないのは当然だが、よくもまあこんな奇想天外なストーリーを思い付くものだと感心させられる。しかもリチャード・アッテンボロー、ピーター・フィンチ、ハーディ・クリューガー、アーネスト・ボーグナイン、イアン・バネン、クリスチャン・マルカン、ジョージ・ケネディ等、極めて個性の強い男優連中が、極限状態の中で激しい葛藤を繰り広げ、見ていてグイグイとドラマに引き込まれていってしまう(特にステュワートとクリューガーの執拗な対立が印象的)。砂漠に飛行機が墜落してバラバラになってしまった状態で、どうやって脱出するのか? クリューガー扮するドイツ人航空機技師の設計によって損傷した飛行機の部品を組み立て直し、なんと別の飛行機を作ってしまうのである。そんなアホなと言いたくなるが、ここまで確信をもったマッチョな演出で描かれると非常に説得力がある。とにかく痛快無比な作品である。

「特攻大作戦」(1967)は、第二次大戦中、リー・マーヴィンが指揮する前科者たちの特殊部隊がドイツ軍相手に大暴れする戦争アクションだが、これもキャストが凄い。マーヴィンをはじめ、アーネスト・ボーグナイン、ジム・ブラウン、ジョン・カサヴェテス、ロバート・ライアン、チャールズ・ブロンソン、ドナルド・サザーランド、ジョージ・ケネディ、テリー・サヴァラス等といったまさに曲者俳優ぞろいで、これだけの強烈な個性を集めて、それでも明らかに“アルドリッチ・タッチ”の豪快な娯楽作品に仕上げられるのだから大したものである。ここではマーヴィンと彼の過去の上官であるライアンの怨念の対立が核になっており、前科者部隊の能力を疑問視するライアンにマーヴィンが挑戦し、互いの率いる戦闘部隊が模擬演習を行うシーンがあるが、前科者部隊はこの映画の原題名(The Dirty Dozen)の通り“ダーティな12人”であり、勝つためにはあらゆるルールを無視して手段を選ばない。これまた痛快なシーンである。

この“ルール無視”のバトルという意味では、「ロンゲスト・ヤード」(1974)での、バート・レイノルズ扮する元プロ・フットボール選手が率いる刑務所の囚人チームと、冷酷な看守長(エド・ローター)率いる看守チームとの壮絶なフットボール・ゲームも同様である。「北国の帝王」(1973)での、列車のただ乗りを絶対に許さない残虐な車掌(アーネスト・ボーグナイン)と、その車掌を欺いてただ乗りを続ける男(リー・マーヴィン)との血みどろの戦いも、まさに“ルール無視”のデスマッチである。

アルドリッチとしては珍しいポリティカル・スリラーの「合衆国最後の日」(1977)にも、男同士の執念の対立が存在する。刑務所に拘留されていた元エリート軍人(バート・ランカスター)が、所内で知り合ったならず者たちと共に脱獄し、アメリカ軍の核ミサイル基地をハイジャックする。彼は身代金、国外逃亡用のジェット機(エアフォース・ワン)、そして人質に合衆国大統領を要求し、応じなければ核ミサイルを共産圏に向けて発射すると脅す。これに対して元ランカスターの上司であるタカ派の将軍(リチャード・ウィドマーク)は、要求を受け容れる素振りを見せながらも、特殊部隊による強行突破を指示する。この一触即発の緊張感も凄いが、やはりドラマのコアとなるのはランカスターとウィドマークの対立の図式である。しかも、この映画では、ランカスターを単なる金目当てのテロリストではなく政治的な信念を持った元軍人として描いており、彼はベトナム戦争の真相にかかわる極秘文書の国民への公表を大統領に要求する。ラストもいかにもアルドリッチらしいドライで骨太な結末である。

ところで、少し前にアルドリッチに関して書かれた洋書を入手して読んだところ、以下のような面白い発見がいくつかあった。

上述した「北国の帝王」は、もともとサム・ペキンパーが脚本まで書いて自分で監督するつもりだったという。結果としてアルドリッチが監督することになったが、それを知ったペキンパーは「自分で監督できないのは残念だが、アルドリッチのファンなので歓迎する」と言っており、アルドリッチも「ペキンパーは優れた監督だ」と互いに誉め合っている。ペキンパーの監督した「北国の帝王」というのもファンとしては見てみたかった気がする・・。

アルドリッチがイタリアでロケした歴史劇「ソドムとゴモラ」(1961)では、第二班監督としてセルジオ・レオーネが雇われていた。ただ、実際にはアルドリッチはレオーネの撮影のノロさが耐えられず数日後にクビにしていた。かたや「ヴェラクルス」(1954)等の豪快な西部劇、かたや「荒野の用心棒」(1964)等のマカロニウエスタンの傑作を手がけている2人だが、そもそもアルドリッチとレオーネでは作風が全く異なるので、一緒に仕事をすること自体にかなり無理があったと思う。

高倉 健が出演した「ザ・ヤクザ」は、もともとアルドリッチが監督してリー・マーヴィンが主役をやるはずだったが、マーヴィンは脚本家のポール・シュレイダーと喧嘩して降り、アルドリッチはマーヴィンと交替したロバート・ミッチャムともめて降りた。この映画は、結局シドニー・ポラックがミッチャム主演で映画化した(高倉 健は、アルドリッチ監督の「燃える戦場」に出演している)。

A・J・クイネルの傑作小説「燃える男」は、もともとアルドリッチが映画化するはずだったが実現せず、後にエリ・シュラキ監督/スコット・グレン主演で映画化された(凡作)。この題材はできればアルドリッチに撮ってもらいたかった。

 

<ロバート・アルドリッチ フィルモグラフィー>

「ヴェラクルス」(1954)「アパッチ」(1954)「キッスで殺せ!」(1955)「(未公開)悪徳」(1955)「攻撃」(1956)「(未公開)地獄へ秒読み」(1959)「怒りの丘」(1959)「ソドムとゴモラ」(1961)「ガン・ファイター」(1961)「何がジェーンに起ったか?」(1962)「テキサスの四人」(1963)「ふるえて眠れ」(1965)「飛べ!フェニックス」(1965)「特攻大作戦」(1967)「(未公開)何がアリスに起ったか?」(1968)「女の香り」(1968)「(未公開)甘い抱擁」(1968)「燃える戦場」(1970)「傷だらけの挽歌」(1971)「ワイルド・アパッチ」(1972)「北国の帝王」(1973)「ロンゲスト・ヤード」(1974)「ハッスル」(1975)「クワイヤボーイズ」(1977)「合衆国最後の日」(1977)「(未公開)フリスコ・キッド」(1979)「カリフォルニア・ドールス」(1981)

<映画賞>

「悪徳」で1955年度ヴェネチア国際映画祭のサン・マルコ銀獅子賞を受賞
「攻撃」で1956年度ヴェネチア国際映画祭のイタリア批評家賞を受賞
「(未公開)AUTUMN LEAVES」で1956年度ベルリン国際映画祭の監督賞を受賞

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ジャン=ピエール・メルヴィル

 

アラン・ドロンが孤独な殺し屋ジェフを演じた「サムライ」(1967)。がらんとした殺風景な部屋に1羽の小鳥を飼っている寡黙な男。車を盗む際にも、ダッシュボードの下にごそごそともぐりこみ配線をショートさせてエンジンをスタートさせるような野暮な真似はせず、ポケットから鍵が何十もついた束を取り出すと、それを助手席に置き、束から1本ずつ鍵をはずして丁寧に試していく。そんな悠長なことをやっていたら捕まってしまいそうだが、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の作品世界の中ではそんな疑問はなぜか気にならない。こういった緻密なディテールへの繊細な視点が、静かな迫力を生む。この映画の殺し屋役は、明らかにドロンのキャリア中でもベストの役柄の1つであり、リュック・ベッソン監督の「レオン」や、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌 最終章」はこの映画から直接的な影響を受けていると思う。

ジャン=ピエール・メルヴィルは、寡作ながらいくつかの犯罪映画の傑作を残したフランスの名匠である。彼の作品は独特の抑制された精緻な演出と、ブルー系の寒色で統一された絵画のように美しい映像が素晴らしい。

アラン・ドロン、イヴ・モンタン、ジャン・マリア・ヴォロンテの3人が組んで宝石店を襲撃する「仁義」(1970)も私の好きなメルヴィル映画である。殺人犯ヴォーゲル(ヴォロンテ)は、マッテイ警部(ブールヴィル)に逮捕されるが、列車で護送される途中で脱走を図り、逃走の過程でコレイ(ドロン)の車のトランクに忍び込む。コレイはプロの泥棒で、偶然知り合ったヴォーゲルと、射撃の名手であるジャンセン(モンタン)を仲間に引き入れて宝石店襲撃を決行する。一方、執念の鬼と化したマッテイ警部はコレイたちを追う……。この映画で素晴らしいのは、何といってもイヴ・モンタンである。モンタン扮するジャンセンは元警官だがアル中で幻覚に悩まされ、宝石店襲撃の仕事をドロンから引き受けたのはよいが、手の震えがとまらず射撃の腕はガタガタに落ちている。本番では失敗するわけにいかないので、彼は大きな三脚を持参し、これにスコープ付きのライフルを固定して、標的となる警報装置に照準を合わせ、後はただ引き金を引くだけでよいようにセットする。ドロンとヴォロンテもこれを見て 「ま、いいんじゃないの」という感じになるが、いざ引き金を引くとなった時点で、モンタンはライフルを三脚から乱暴に取り外し、素手でゆっくりと狙いをつけ、一発で警報装置を仕留める。アル中でボロボロになっていても本番になると手の震えがピタっと止まる、というプロフェッショナリズム描写は、ハワード・ホークス監督の「リオ・ブラボー」にも通ずるものがある。この宝石店襲撃シーンはセリフが全くなく、映像のみの精密なモンタージュにより緊張感を盛り上げる見事な演出で、いかにもメルヴィル監督らしい名シーンである。 因みに、この映画でのブールヴィルの役はリノ・ヴァンチュラが、モンタンの役はポール・ムーリスが、ヴォロンテの役はジャン=ポール・ベンルモンドが演じるはずだったが、様々な事情で出演が成立しなかった。メルヴィルはドロンとベルモンドを初共演させたいと考えていたようで、ジャック・ドレー監督が「ボルサリーノ」でこの2人を共演させてしまったことを非常に残念がっていたという。

メルヴィルは様々な映画音楽作曲家と組んでおり、「いぬ」ではポール・ミスラキ「サムライ」ではフランソワ・ド・ルーベ「影の軍隊」「仁義」ではエリック・ドマルサン、遺作の「リスボン特急」ではミシェル・コロンビエが音楽を担当している。特に「サムライ」でのド・ルーベの寂寥感に満ちたクールなスコアが忘れ難い。

 

<ジャン=ピエール・メルヴィル フィルモグラフィー>

「(未公開)海の沈黙」(1947)「恐るべき子供たち」(1948)「賭博師ボブ」(1955)「マンハッタンの二人の男」(1958)「いぬ」(1963)「ギャング」(1966)「サムライ」(1967)「影の軍隊」(1969)「仁義」(1970)「リスボン特急」(1972)

<映画賞>

「(未公開)LEON MORIN PRETRE」で1961年度ヴェネチア国際映画祭のヴェネチア市賞を受賞

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セルジオ・レオーネ

Mallory (James Coburn): Duck, you sucker!
「夕陽のギャングたち」より)

イタリア人のセルジオ・レオーネが、黒澤 明監督の傑作時代劇「用心棒」を西部劇としてリメイクしようとした時、彼は当初ヘンリー・フォンダを主役にキャストしたいと思ったらしい。しかし、いくらなんでもジョン・フォード監督の名作「荒野の決闘」でワイアット・アープを演じたハリウッドの大スターを低予算のイタリア製ウエスタンの主役に起用するのは無理だろうとあきらめて、若手のアメリカ人俳優でお茶を濁した。それが、当時テレビの「ローハイド」で人気が出はじめた頃のクリント・イーストウッドだった。「ローハイド」ではどちらかといえば線の細い“やさ男”風だったイーストウッドは、レオーネ監督のマカロニウエスタン3部作、「荒野の用心棒」(1964)「夕陽のガンマン」(1965)「続・夕陽のガンマン」(1966)で、ゆったりとしたポンチョに無精ひげにシガー(イーストウッド自身はノンスモーカーだったので撮影中苦労したらしいが)といった“荒くれ者”的な風貌で登場し、その後に組んだドン・シーゲル監督の「マンハッタン無宿」「真昼の死闘」「ダーティハリー」等での“はみ出し者”的キャラクターで、大スターとしてのカリスマを確立した。彼がアカデミー監督賞を受賞した「許されざる者」では、エンドクレジットに“セルジオとドンに捧げる”と、彼を男にしてくれた2人の恩人(その時点で2人とも故人)への謝意が表されている。

上記3部作の成功で一流監督となったレオーネが、ついにヘンリー・フォンダを起用したのが、傑作「ウエスタン」(1968)である。この映画は、原案が「ラスト・エンペラー」等のベルナルド・ベルトルッチと「サスペリア」等のダリオ・アルジェントとセルジオ・レオーネの共作というところが凄い。これだけ強烈な個性が3つ集まってよく首尾一貫したストーリーになったものだと妙に感心してしまう。チャールズ・ブロンソンとヘンリー・フォンダが正義のガンマンと悪のガンマンを演じる。さて、どっちがどっちでしょう? なんと“アメリカの良心”ことヘンリー・フォンダが冷酷な殺し屋役なのである。これが実にいい。私は「怒りの葡萄」や「ミスタア・ロバーツ」の“善良”フォンダが大好きだが、この映画の“悪役”フォンダも見事だと思う。

レオーネから出演を依頼されたフォンダは、親友のイーライ・ウォーラック(「続・夕陽のガンマン」に出演)に強く勧められて、この「ウエスタン」に出たらしいが、「飽くまで金のために出演した」と割り切っていながらも、その後レオーネのプロデュース(監督トニーノ・ヴァレリー)による「ミスター・ノーボディ」にベテランのガンマン役で再度出演していたりして、実は「ウェスタン」の悪役はまんざらでもなかったのかもしれない。彼は自分が悪役を演じると知って、持ち前のブルーの瞳に茶色のコンタクトレンズを付け、無精ひげをはやしてレオーネに会いにいったところ、レオーネは「私はフォンダの透き通るようなブルーの瞳がほしいんだ!」とイタリア語でわめきちらしたという。確かに、この映画での黒ずくめの衣装に銃身の長いコルト・シングルアクション、そしてブルーの瞳のフォンダは最高にかっこいい。

この映画は、冒頭の駅でのガンファイトからラストのブロンソン=フォンダの一騎打ちまで、長廻しと極端なクロースアップとハイスピード撮影を駆使したレオーネ独特のオペラのような演出に酔う傑作である。冒頭、主人公の“ハーモニカの男”(ブロンソン)が駅に降り立つシーンでは、かつてのハリウッド西部劇の名脇役であるジャック・イーラムウッディ・ストロードが、ブロンソンを迎え撃つ殺し屋役で登場する。ここでのブロンソンの登場シーン、その後の酒場でのジェイソン・ロバーズの登場シーンも、いかにもレオーネらしいもったいぶった演出で観るものを堪能させるが、何といっても映像と音楽に酔うのは、フォンダ扮する殺し屋フランクの登場シーンである。大平原にぽつんと建った一軒家に慎ましく生活する一家を、物陰からライフルで次々と惨殺し、驚いて家から飛び出してきた幼い少年の前にゆっくりと歩みよるフォンダとその殺し屋一味。このフォンダ達を高いカメラ位置から捉えたロングショットにエンニオ・モリコーネのハーモニカとコーラスとオーケストラによる非情なスコアがかぶさるシーンは、正に息を呑むような緊張感で、映像と音楽の完璧な融合を見せている。

続く「夕陽のギャングたち」(1970)も“男の友情と裏切り”をテーマにした見事な傑作である。20世紀初頭のメキシコを舞台に、山賊のミランダ(ロッド・スタイガー)と、アイルランド革命の闘士で爆発物のエキスパートであるマロリー(ジェームズ・コバーン)がメキシコ革命に巻き込まれ、反政府軍のために戦うことになる、というストーリー。原題名の「Duck, You Sucker」は、いつのまにか爆薬を仕掛けたマロリーが、爆発寸前にミランダに対して言う「頭を伏せろ」という決まり文句。全身にダイナマイトやニトログリセリンを仕込んだマロリー役のコバーンが渋い。

セルジオ・レオーネの音楽といえばエンニオ・モリコーネである。マカロニウエスタン(彼の監督作品はイーストウッド主演の3部作と、上記「ウエスタン」「夕陽のギャングたち」の計5本しかない)と、レオーネの遺作である「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、全てエンニオ・モリコーネが音楽を担当しているが、いずれもモリコーネのベストスコアに入る傑作ばかりである。個人的には、「夕陽のギャングたち」のメインテーマ、「続・夕陽のガンマン」の墓場のシーンの音楽(ゴールドのエクスタシー)、そして「ウエスタン」のハーモニカの男のテーマが特に素晴らしいと思う。

 

<セルジオ・レオーネ フィルモグラフィー>

「ロード島の要塞」(1961)「荒野の用心棒」(1964)「夕陽のガンマン」(1965)「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」(1966)「ウエスタン」(1968)「夕陽のギャングたち」(1970)「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)

※1998年にレオーネの原作を基にジーン・クインターノが脚本・監督を担当し、エミリオ・エステヴェスが出演した「ワイルド・ウエスタン 荒野の二丁拳銃(DOLLAR FOR THE DEAD)」というTVムービーが製作されている。

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(2001年10月)

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