“DIRECTORS”PART.2
「ビリー・ワイルダー」
Billy Wilder
Jerry (Jack Lemmon): Look, I'm a man!
Osgood (Joe E. Brown): Nobody's perfect.
(「お熱いのがお好き」より)
Sherlock Homes (Robert Stephens): My dear Mrs.Hudson, criminals are as unpredictable as head-colds. You never quite know when you're going to catch one.
(「シャーロック・ホームズの冒険」より)
ビリー・ワイルダーは1906年6月22日生まれ(オーストリアのスーハ出身)なので、現時点(2001年10月)で95歳になる。さすがに映画はもう撮っていないが、1999年に出版された映画監督のキャメロン・クロウ(「ザ・エージェント」「あの頃ペニー・レインと」)によるインタビュー本や、2001年1月に日本でテレビ放映された三谷幸喜によるインタビュー番組でも、映画への熱い想いを軽妙なウィットと鋭い辛辣さで語っており、映画作家としてのスピリットはまだまだ健在である。三谷はL.A.のワイルダーに会いに行くにあたり、自己紹介の意味をこめて自作「ラヂオの時間」のビデオを予め郵送して見てもらうようにお願いしていた。ワイルダーと初対面し、「ビデオを見ていただけましたか?」とおそるおそる尋ねる三谷に、ワイルダーは「見たとも。あれはこういうストーリーだった・・」と「ラヂオの時間」のプロットを詳細に説明しはじめた。そして「とてもいい映画だったね」と締めくくったのである。これには三谷も驚いただろうが、見ていた私も驚いた。彼からしてみれば孫のような年齢の日本の映画監督が撮った1本の映画の感想を熱心に語るワイルダーは、「偉大な巨匠」というより「根っからの映画屋」という感じがして、ますます彼のファンになってしまった。
彼はクロウのインタビューに答えて、「自分が惨めな気持ちの時には必ずコメディを撮る。絶好調の時にはフィルムノワール(犯罪映画)のようなシリアスな映画を撮る。で、それに飽きてまたコメディを撮るんだ」と語っているが、シリアスな作品とコメディの両方を見事にこなせる監督である。ワイルダーというと、「七年目の浮気」(1955)「お熱いのがお好き」(1959)「アパートの鍵貸します」(1960)「あなただけ今晩は」(1963)「恋人よ帰れ!わが胸に」(1966)「フロント・ページ」(1974)といったコメディの方が有名だが、シリアスな作品にも、「熱砂の秘密」(1943)「深夜の告白」(1944)「失われた週末」(1945)「サンセット大通り」(1950)「地獄の英雄」(1951)「第十七捕虜収容所」(1953)「翼よ!あれが巴里の灯だ」(1957)「情婦」(1957)といった名作が多数ある。
彼は「失われた週末」「サンセット大通り」「アパートの鍵貸します」の3本でアカデミー賞の脚本賞と監督賞を受賞しており(「サンセット大通り」は脚本賞のみ)、この3本はワイルダーの代表作といえる傑作だが、私が個人的に好きな3本を挙げると、「深夜の告白」「あなただけ今晩は」、そして「シャーロック・ホームズの冒険」(1970)となる。
「深夜の告白」はジェームズ・M・ケインの小説「倍額保険」の映画化で、ワイルダーはハードボイルド作家として有名なレイモンド・チャンドラーと共同で脚本を執筆している(ただし、ワイルダーとチャンドラーは全く折り合わず、二度とコンビを組んでいない)。フレッド・マクマレー扮する生命保険のセールスマンが、バーバラ・スタンウィック扮する人妻と共謀して彼女の夫に多額の保険をかけ事故に見せかけて殺害するが、事故に疑念を感じたマクマレーの上司(エドワード・G・ロビンソン)が調査に乗り出す、というストーリー。これはリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの「刑事コロンボ」のような“倒叙ミステリ”(最初から誰が犯人か明示されており、いかにして刑事が犯人を追いつめていくか、という点がストーリーの主眼であるタイプのミステリ)になっており、殺人の共犯者であるマクマレーとスタンウィックに感情移入した観客が、ロビンソンの執拗な捜査にハラハラさせられるという強烈なサスペンス演出が素晴らしい。
「あなただけ今晩は」はワイルダーの作品中でもどちらかといえば評価が低く、同じジャック・レモン=シャーリー・マックレーン主演コンビの作品では「アパートの鍵貸します」の方が有名だし、評価も高い(三谷のインタビューではワイルダー自身も「あなただけ今晩は」はくだらない映画だと一蹴している)。が、個人的にはこの映画がワイルダーのコメディ中でも特にお気に入りである。パリを舞台にレモン扮する元警官のヒモと、マックレーン扮する売れっ子娼婦のロマンスを描いたシチュエーションコメディ(Sitcom)で、実に他愛ないストーリーだし(元はミュージカルだった)、どこがそんなに凄いのかとあらたまって問われると困ってしまうが、何ともいえないチャーミングな作品で、落ち込んでる時に見るとほのぼのと明るい気持ちにさせてくれるような愛すべき映画である。マックレーンも実にキュートで輝いているし(彼女はデビュー作であるヒッチコックの「ハリーの災難」とワイルダーの2本が抜群に良いと思う)、過去に様々な経歴(自称)をもつバーテン役のルー・ジャコビ等、脇役もみないい味を出している。
「シャーロック・ホームズの冒険」は、アーサー・コナン・ドイルの原作の映画化ではなく全くオリジナルのストーリーであるが、いかにもワイルダーらしいロマンティックで洒落た脚本だった。ベーカー街の見事なオープンセットや、美しい色彩の映像、ミクロス・ローザのドラマティックでクラシカルな音楽等全ての面において一流の作品である。ホームズが実はホモセクシャルだったとほのめかしている点も非常に興味深い。ここでホームズを演じたのはロバート・スティーブンスというイギリスの舞台俳優で、ワイルダーは彼のことを「実にプロフェッショナルで見事な役者だった」と評している。スティーブンスはこの映画の後、リドリー・スコット監督の「デュエリスト/決闘者」(1977)等に脇役で出演していたが、晩年になってシェークスピアの「リア王」の舞台で再評価されてオリヴィエ賞を受賞し、スティーヴン・スピルバーグ監督の「太陽の帝国」(1987)や、ケネス・ブラナー監督の「ヘンリー五世」(1989)等にも出演した。1994年にはナイトの称号を授与されたが、1995年11月に64歳で惜しくもこの世を去った。この「シャーロック・ホームズの冒険」は公開時に映画会社側が1時間近くをカットしたことで知られているが、カットされたフィルムの大半は紛失してしまっており、ファンとしては実に残念なことである。
1986年3月号の「American Film」誌に、映画監督のクリス・コロンバスによるワイルダーのインタビュー記事が掲載されているが、ここでワイルダーは、彼が脚本を担当した「ニノチカ」の監督で、彼が師と仰ぐエルンスト・ルビッチのことを次のように語っている。ワイルダーのコメディ演出に対する考え方がよくわかる話で非常に面白い。
「彼(ルビッチ)の考え方は常に遠回しに表現するということだ。彼は人の頭を叩いて『ここに2と2がある。2と2を足せば4だ。そして3と1を足せば4だ』と説明するタイプの監督ではない。彼は単に『ここに2と2がある』とだけ言い、あとは観客に足し算をさせる。観客が共同脚本家となる。そこに笑いが生まれる。
「大学に講義に行った時に、こんなことを言った。『こういうシチュエーションがある:王様と女王がいる。王様には副官がいて、彼は女王とできている。そのことに王様が気付く。さあ、家に帰ってこのシーンを脚本にしてきてごらん』この課題を1000人の聡明な脚本家(や脚本家志望者)に出すと、20ページの脚本を書いてくる者もいれば、簡単なセリフのシーンを書いてくる者もいる。でもルビッチが(「メリイ・ウイドウ」(1934)で)やったような回答を思い付く者は誰一人としていない。
「これがルビッチの答だ。王様と女王はベッドルームにいる。王様は服を着ながら、女王にキスしている。カメラは部屋の外に出る。そこに見張りの少尉(モーリス・シェヴァリエ)が剣を持って立っている。王様はベッドルームから出てきて、シェヴァリエに笑いかけると、階段を降りて行く。そこで、シェヴァリエはもう安全だと考え、女王のいるベッドルームへと飛び込む。ドアが閉まる。カメラはベッドルームには入らない。
「王様は階段を降りながら、剣と、それを腰に差すベルトを着け忘れてきたことに気付く。そこで彼は階段を昇り、ドアを開けてベッドルームに入り、ドアを閉める。3秒後に、彼は依然として笑みを浮かべ口笛を吹きながら、剣とベルトを持って出て来る。彼は、階段を降りはじめ、ベルトを着けようとする。が、短かすぎる。彼のベルトではない。彼は太っちょなのだ。
「ここで観客はピンとくる。王様は踵を返し、ベッドルームへと戻る。観客は、王様がここで(女王の不貞を)見つけるであろうということだけでなく、シェヴァリエが裸であるということも既に知っているわけだ。ここでカメラがベッドルームに入る。シェヴァリエはベッドの下に隠れている・・。ルビッチがいかにエレガントに描いているかがわかるだろう」
つまり、観客は作り手が考えている以上にソフィスティケートされているので、ばか丁寧に全てを語らなくても遠回しな表現だけで十分に状況が理解できる、ということをワイルダーは言いたいのである。
「あなただけ今晩は」の最初の方にこんなシーンがある。ジャック・レモン扮する警官がパリの娼婦街を巡回している。彼は新任で、そもそもそこが娼婦街であるということを知らされていない。娼婦が客との仕事場として使っているホテルの前にあるバーに入ったレモンは、バーテンに「路上に立っている女たちは娼婦じゃないのか。これは犯罪だ」と言う。彼は真面目な警官なのだ。バーにたむろしているギャングたち(娼婦のヒモ)は、そうとは知らずにレモンがカウンターに上向けにおいた帽子に札を1枚ずつ入れて行く(前任の警官はそうやってワイロをもらって見逃していたのだ)。レモンはそれに気付かず、そのまま帽子をかぶってホテルに入っていくと、娼婦と客たちを一斉に部屋から叩き出し、娼婦たちを護送車で連行していく。客の中にレモンに対してやけに偉そうな口調で話す男がいるが、レモンはそれが誰だか気付かない。署に戻ったレモンは上司から呼び出され、てっきり手柄を誉められると思って部屋に入って行くと、なんとその上司はさっきホテルで会った偉そうな客の男である。レモンは驚くが、「上官と話すときは帽子を取れ!」とどなられ、そこではじめて帽子を脱ぐ。と、帽子につまった札がバラバラと床にこぼれ落ちる・・。
これは「真面目な警官がその真面目さゆえにヘマをしてクビになる」というシチュエーションをいかに面白おかしく描くか、というテーマに対するワイルダー流の回答だろう。一見他愛ない事のように思えるが、こういったシチュエーションを彼のようにエレガントに表現するのは、実は至難の技なのである。私がビリー・ワイルダーという監督を尊敬する理由の1つはこのあたりにある。
<ビリー・ワイルダー フィルモグラフィー>
=脚本のみ担当した作品=
「少年探偵団」(1931)「空飛ぶ音楽」(1934)「青髭八人目の妻」(1938)「(未公開)ミッドナイト」(1939)「ニノチカ」(1939)「囁きの木陰」(1940)「(未公開)教授と美女」(1941)「ヒット・パレード」(1948)
=監督・脚本作品=
「(未公開)少佐と少女」(1942)「熱砂の秘密」(1943)「深夜の告白」(1944)「失われた週末」(1945)「(未公開)異国の出来事」(1948)「皇帝円舞曲」(1948)「サンセット大通り」(1950)「地獄の英雄」(1951)「第十七捕虜収容所」(1953)「麗しのサブリナ」(1954)「七年目の浮気」(1955)「昼下りの情事」(1957)「翼よ!あれが巴里の灯だ」(1957)「情婦」(1957)「お熱いのがお好き」(1959)「アパートの鍵貸します」(1960)「ワン・ツー・スリー/ラブハント作戦」(1961)「あなただけ今晩は」(1963)「ねえ!キスしてよ」(1964)「恋人よ帰れ!わが胸に」(1966)「シャーロック・ホームズの冒険」(1970)「お熱い夜をあなたに」(1972)「フロント・ページ」(1974)「悲愁」(1979)「(未公開)新・おかしな二人/バディ・バディ」(1981)
<アカデミー賞>(□ノミネート、■受賞)
ニノチカ(□脚色賞)、教授と美女(□原案賞)、HOLD BACK THE DAWN(□脚色賞)、深夜の告白(□監督賞□脚色賞)、失われた週末(■監督賞■脚色賞)、異国の出来事(□脚色賞)、サンセット大通り(□監督賞■脚本賞)、地獄の英雄(□脚本賞)、第十七捕虜収容所(□監督賞)、麗しのサブリナ(□監督賞□脚色賞)、情婦(□監督賞)、お熱いのがお好き(□監督賞□脚色賞)、アパートの鍵貸します(■監督賞■脚本賞)、恋人よ帰れ!わが胸に(□脚本賞)
■アーヴィング・タールバーグ記念賞(1987年)
(2001年10月)
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