FILM MAKING IN L.A.: PART 2

 

「Sherlock Holmes in L.A.」は完成してみると40分程度の中編となったが、帰国間際の1月初旬から脚本の執筆、キャスティング、ロケハン等を開始したので、実際の撮影は2月20日に米国を去る前日ぎりぎりまで行った(従って編集、録音等のいわゆるPost Productionは日本に帰ってからやった)。
ロスでの撮影ではクラブの友人数名が手伝ってくれたが、毎回全員が来れるわけではないので、結局私が監督、撮影、照明、録音、特殊効果(?)等の大半の作業を1人でこなすはめになった(自主映画ではこういうパターンが多いが・・)。2ヶ月弱で撮影までを一気に済ませてしまったということだが、帰国の日が動かせなかったので、何とかそれまでにL.A.での撮影だけでも終わらせようと最後の方は必死であった。

キャスティングに関しては以前にも書いたように「DRAMALOGUE」というCasting Notice専用の雑誌があったので、そこに募集広告を載せた。一般の商業映画(といっても低予算のものばかりだと思う)や舞台演劇のキャスティングが主体だが、Non-Commercial Basisの学生映画のセクションもあって(私の映画の広告は当然そこに載った)、学生映画だとわかっていても応募してくるプロの俳優が30人以上もいたのには単純に驚いた。

別に冗談で応募してきているわけではない(中には冗談もいたかもしれないが)。まず第一に、映画を勉強中の学生であってもいつ何時スピルバーグやゼメキスのようなプロのFilmmakerに出世するやも知れないので学生のうちからコネを作っておこうというまめな人が結構いるということ。更には、自分自身のResume(履歴書)の代用となる出演作品のデモ・テープを得るために学生映画でも積極的に出演しようという俳優がいるということで、「ギャラはいらないから、完成作品のビデオテープをくれ」という話になる。

募集広告を出した時には大学の演劇部に毛の生えた程度の俳優ばかり応募してくるものと想像していたが、送付されてきたResumeを見ると舞台やCMで経験を積んだベテランも結構いて、HollywoodでShow Bizに生きる人々の層の厚さにあらためて感心させられた。当然彼らは生きていくためにプロの商業映画やCMのオーディションを毎週のように受けているので、ノン・ギャラの学生映画の撮影で何日も拘束したりはできない。うまくスケジュールを組んで手際よく進めないととんでもない迷惑をかけることになるので、非常に神経を使う。しかし、こっちが真面目な態度で取り組めば学生映画でも一生懸命やってくれるのはさすがだ。

応募してきた俳優の中から数人と実際に会って、ホームズとワトソン役を含めた5人を選んだのだが、主役の2人は舞台でも共演したことのある友人同士で息も合っておりなかなか良かった。
それにしてもホームズやワトソンは、架空の人物とはいえ誰でも知ってる非常に有名なキャラクターなので、キャスティングもそれなりに難しかった。原作のファンは自分なりに登場人物のイメージを思い描いているはずなので、それとあまりにかけ離れた俳優が演じていればそれだけで映画に対して拒否反応を示すであろう。万人が納得できるようなハマリ役などそうあるものではない。

それはともかく、ホームズとワトソンはイギリス人なので話す英語も米語ではなくBritish Accentの英語でなければならない。というわけで、募集広告を出すときも「英国なまり」と明記したのだが、ある日友人と脚本を練っているといきなりイギリス人から電話がかかってきて、ホームズ役をどうしてもやりたいという。それは結構なのだが、この人物は「英国なまり」という部分を余程強調したいらしく、途轍もないアクセントでしゃべるので何を言っているのか殆どわからない。実際に会ってみるとかなりの変人で、これは相当苦労しそうだと思ったので友人と相談して今回はご遠慮願ったのだが、後から考えるとホームズも変人として描かれているのでこの俳優は以外と適役だったのかも知れない(別に変人の役だから変人が演じればよいというものでもなかろうが・・)。

キャスティングと並行して撮影のロケ地探しと、衣装/小道具/機材の調達を行ったのだが、まず衣装に就いてはメルローズ通りにある「WESTERN COSTUMES」というハリウッドでも最大規模の貸衣装屋に行ってホームズとワトソンの着る服を探した。ここは映画ファンの人はハリウッドに旅行で行った時にのぞいてみるといいと思うが、8階建てぐらいの古風なビルにあらゆる種類の衣装が置いてあってなかなか壮観である。衣装選びにはサイズを合わせるために俳優2人を連れていったのだが、随分と時間がかかり、結局これで1日潰れてしまった。

小道具として拳銃が必要だったので、これはラ・ブレア通りの「ELLIS MERCANTILE」というこれまた大きな店に行って探したのだが、ここも映画ファンにとっては楽しい店で、関係のない小道具・大道具まで色々見ているとここでも1日潰れてしまった。

照明等の機材は「ALAN GORDON」という専門店で借りたが、ここもハリウッドを訪れた際には行ってみると面白いと思う(但しこれらの店が今でも存在しているという保証は全くない)。

ロケ地探しはまず簡単なところからということで、L.A.のダウンタウンの高層ビルから下を眺める主観ショットがあったので、適当なビルを選んで撮影許可を取りにいった。一番高そうな銀行のビルを選んだのだが、ここでは許可はおりなかった。このファースト・インターステートという銀行の超高層ビルはその後火事になり、まるでタワーリング・インフェルノをそのままやっているような騒ぎになったと記憶している。結局、許可が不要そうな他のビルに行って撮影することにした。

ラストに山道でのカー・チェイスのシーンがあったので、これはトパンガ・キャニオン・ドライヴという曲がりくねったハイウェイで撮ることになったが、本当にここでチェイスをやったら相当危ないと思うような道であった。

で、問題は冒頭のベーカー街221Bのシーンに使う部屋で、これがなかなか見つからない。どうしても見つからなかった場合のために別のオープニングを考えたりしたが、どうもいいアイデアが浮かばない。というところで、続きは次回で。(おお、そう言えば前回もここで終わったような気がするな)

TO BE CONTINUED

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