FILM MAKING IN L.A.: PART 6
(前回から続く)ブレーキなしにどんどん加速していく2台の車。
ホームズは運転席のノーマンにメアリーの乗った車と平行して走らせるように指示する。メアリーの車(オープンカーになっている)に隣から乗り込もうというのだ。ノーマンは対向車線に入ってメアリーの車の真横につける。ホームズがメアリーの車に手をかけて半分乗り込みかけた時に対向車が近づいてくる。激突寸前にホームズはメアリーの車に飛び込み、ノーマンは急ハンドルで対向車線から逃げる。
ホームズが乗り込んだのはよいが、前方で別の車がUターンしようとして横向きになったところでエンストし立ち往生してしまう。ホームズたちは仕方なく車から近くの川に飛び込もうとするが、その時になってノーマンは自分のタイムマシンを使えばホームズたちを瞬間移動できることに気付き、急いでマシンをプログラムしてスタートさせる。メアリーの車がエンストした車に激突する直前にホームズたちはメアリーのアパートに転送される・・・。
と、このように書くと一体どうやってそんなシーンを撮ったのかと思われるだろうが、ノン・ギャラで出演してくれている俳優たちに危険なスタントを要求するわけにはいかないので、この一連のシーンは全てカットを細かく割って編集の技術でそれらしく見せた。
カー・チェイスのシーンではスピード感を出すためにコマ落とし(通常24コマ/秒であるところを18コマ/秒で撮影して映写時に24コマ/秒に戻すと動きがスピード・アップするというやり方)をしたり別の車から移動撮影したりして迫力を出した。実際の撮影では危険なことは何もやっていないのだが、編集され効果音/音楽を加えたフィルムを見ると結構危なく見えるのがこの手のシーンの面白いところだと思う(逆に非常に危ないことをやって撮影したのに出来たフィルムを見ると全然迫力がない場合はとても悲しい)。
主要な登場人物が揃ったメアリーのアパートで、ホームズは細部をノーマンに確認しながら事件の絵解きを始める。
ノーマンは政府から母親であるメアリーを誘拐したとの通知を受け取った時に叔父に電話して過去にそんな事件があったかどうか尋ねた(その時点で両親とも他界していたので)。叔父の話からメアリーが当時住んでいたアパートや監禁されていたモーテルの場所、また2人の英国紳士によって救われた事実等が判明した。もともとホームズの大ファンであったノーマンは、その2人の紳士がホームズとワトソンであると確信し、19世紀のベーカー街のデータを自分のタイムマシンに記憶させておいた。そして、20世紀のメアリーのアパートに転送してきた彼はメアリーを救おうとしてマシューズたちに追いつめられてしまい、とっさにポケットの中にあったタイムマシンをスタートさせて19世紀のベーカー街へと転送されてしまった。が、その時にマシンが誤動作して彼は一時的に記憶を失ってしまったのである・・・。
一件落着し、ホームズたちはノーマンのタイムマシンでベーカー街へと戻ろうとする。
ホームズのショットが本の挿し絵に切り替わる。
自分の書斎で本を読み終えたノーマンが笑みを浮かべながら本を閉じて机の上に置く。
本のタイトルは「Sherlcok Holmes in L.A.」。
著者として背表紙に顔写真が載っているのは悪役からノーマンの協力者、そして作家へと転身したチャールズ・マシューズ氏であった・・・。
以上が「Sherlcok Holmes in L.A.」のストーリーである。
最初の方で書いたように、この映画の編集作業等のPost Productionは日本に帰国してから行った。タイトルバックの撮影も日本でやったが、ここではストランド紙に掲載されたシドニー・パジェット作のホームズやワトソンのイラストに、それぞれのキャラクターを演じている役者の名前をかぶせるというデザインとした。メインタイトルの最後はワトソンがグラスに入ったスコッチをボトルに戻しているイラストのゆっくりとしたズームバックで、これが絵と全く同じ場面の実写にスっと切り替わることで冒頭のベーカー街のシーンが始まる。これは、L.A.で撮影したワトソンの実写フィルムを編集用のヴュワーにかけてショットをトレースし、これをもとに私が線画のイラストを描いて撮影したものである。エンディングも同じパターンで、ホームズの実写のショットがノーマンの読んでいる本の挿し絵のイラストにパっと切り替わるが、これも同様の方法で撮影したもの。
余談だが、私は最初と最後のショットを統一させるという手法が好きで、この映画の場合は「イラストが実写に切り替わる」シーンで始まり、「実写がイラストに切り替わる」シーンで終わる。以前に製作した「蒸発」という短編では、最初と最後のショットを全く同一にして、冒頭のショットがストーリー全体の伏線になっているようにした。「循環」という短編でも最初と最後が同じようなショットになっているが、まさにこの映画のタイトルの通り、ある所から始まって最後はまたそこに戻るという「ループ」の状態になっており、映画が独自の世界の中で完結しているような効果を狙っている。
BGMも日本に帰ってから録音した。以前に書いたように、オリジナルの音楽を提供したいという作曲家がいたが、残念ながら都合がつかず実現しなかったので、自分のサントラ盤のコレクションから、それぞれのシーンに合う音楽を探して付けていった。ホームズ映画の音楽というと、すすり泣くようなヴァイオリンのソロがすぐに思い浮かぶが、この映画では冒険活劇的要素を強調したかったので、その手の音楽は敢えて避けた。私は、イギリスの映画音楽作曲家でクラシック音楽でも有名なサー・ウィリアム・ウォルトンの作品が好きで、彼の書いた優雅で勇壮なマーチをホームズのテーマとして使ったが、これは映画にぴったりだったと思う。音楽の印象を統一させるために全体を通してウォルトンの作品をできるだけ使うようにし、クライマックスのカーチェイス・シーンでも「空軍大戦略」の空中戦のシーンの音楽を付けた。
私は自分で製作した映画には、いつもサントラ盤のコレクションから適当な曲を探して付けているが、これはちょうど映画監督やプロデューサーが、作曲家に求める音楽のイメージを伝えるために作成する「Temporary Track」を作っているような楽しい作業である。特に編集を完了し、セリフやS.E.も録音した後のフィルムに劇伴音楽を付けて、思いも寄らなかった効果が現われた時には、映画における音楽の重要性を痛感する。効果的な音楽を付けることで、シーンのテンションが非常に高まることもあるが、逆にずっとバックに流れていた音楽をある瞬間にパタっと止めることで、沈黙によるテンションの効果を得ることもできる。特定の作曲家とずっとコンビを組んでいる映画監督は多いが、自分の演出スタイルを熟知した作曲家に常に音楽を提供してもらうことは、監督にとって非常に有意義で幸運なことだと思う。
= 「Film Making in L.A.」 END =
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