Date of Birth: 1901/5/3
Place of Birth: San Francisco, California, USA
Date of Death: 1981/5/17
Mini Biography:
Hugo Wilhelm Friedhofer began studying the cello at age 13. In 1917, he dropped out of high school in support of a teacher who had been fired for radical and anti-war beliefs. He worked as a cellist for the People's Symphony Orchestra in San Francisco. He married quite young at 19 and had a child by the age of 22. He quickly put his music expertise to a working life by playing in theater orchestras and accompanying silent films and stage shows between features. He also started writing arrangements of music and worked at the Granada Theater (became the Paramount in 1931), with the opportunity to write some incidental music. He came to Los Angeles in the later 1920s and became a friend of the violinist George Lipschultz, who just happened to be the musical director at Twentieth Century Fox. He was brought to the notice of Erich Wolfgang Korngold, a relatively new film composer at Warner Bros. where Max Steiner was king. He was hired by Warner Bros soon after to arrange scores for musicals and orchestrate scores-mostly for these two composers. Including orchestrating all of Korngold's movie scores and fifty of Steiner's, Friedhofer would orchestrate or musically direct 105 films into the mid 1950s during his career. But he was already doing significant film composing as well from 1930 along with incidental and stock music for several studios before his stay at Warner. His developing style was in the romantic vein of his contemporaries. He studied composition with Ernst Toch after aiding the composer with contributions to "Peter Ibbetson"(1935) at Paramount. His first full film score was for Samuel Goldwyn's "The Adventures of Marco Polo"(1938) after being recommended by another film composer great Alfred Newman. His first for Warner's was "The Oklahoma Kid"(1939). He did not get credit for this nor for "The Mark of Zorro"(co-work with Newman) and "Santa Fe Trail" both in 1940. He was not credited as composer for some 120 films. It was Newman again who recommended him for scoring Goldwyn's "The Best Years of Our Lives"(1946), and he won the Oscar for Best Score. Other memorable credited scores included such classics as the gripping music for "Lifeboat"(1944) directed by Alfred Hitchcock, the delightful Christmas strings score of "The Bishop's Wife"(1947), and the soaring music for Ingrid Bergman in "Joan of Arc"(1948).
レッド・バロン VON RICHTHOFEN AND BROWN
作曲:ヒューゴ・フリードホファー
Composed by HUGO FRIEDHOFER
指揮:クルト・グランケ
Conducted by KURT GRAUNKE
演奏:グランケ交響楽団
Performed by The Graunke Symphony Orchestra of Munich
(米Facet / 8105) 1987
“エクスプロイテーション・フィルム”(B級キワモノ映画)の巨匠ロジャー・コーマンが1971に監督した作品で、第一次世界大戦中に“レッド・バロン”の異名をとったドイツ空軍の撃墜王マンフレッド・フォン・リヒトホーフェンの半生を描いたドラマ。出演はジョン・フィリップ・ロー、ドン・ストラウド、バリー・プリマス、ピーター・マスターソン、カレン・ヒューストン、スティーブン・マクハッティー、コリン・レッドグレーヴ、トム・アダムス、ハード・ハットフィールド、ロベール・ラ・トゥールノー、クリント・キンブロー、ジョージ・アーミテージ、ファーディ・メイン他。脚本はジョン・ウィリアム・コリントンとジョイス・フーパー・コリントン、撮影はマイケル・リードが担当。
音楽を作曲したヒューゴ・フリードホファーはハリウッドの黄金期にアルフレッド・ニューマン等と共に活躍したベテラン作曲家だが、この「レッド・バロン」は彼がそのキャリアの最終期に手がけたスコアである。このCDには約21分の交響組曲が収録されているが、低予算のB級映画にはちょっともったいないくらい格調の高いクラシカルなオーケストラルスコアを提供している。映画自体は戦争ドラマだが、フリードホファーの音楽はこのジャンルの定石である勇壮なマーチ等を敢えて避け、大空を舞うレッド・バロンの複葉機を表現した幻想的な音楽と、英独の空中戦を表現した不吉で戦闘的な劇伴音楽を中心に展開する。途中でミリタリスティックな部分や、ドイツ国家をオルゴール風に演奏した部分等のアクセントもあるが、全体としてリヒトホーフェンの孤独な英雄像を表現した深みのあるオーケストラ音楽となっている。フリードホファーはアメリカ人だが、両親がドイツ系であり、彼自身もドイツ流の音楽教育を受けているため、この題材には深く共感を覚えたという。尚、このCDには「(未公開)Private Parts」(1972)というポール・バーテル監督のブラックコメディ調サスペンス映画にフリードホファーが作曲したスコアの組曲(約15分)も収録されているが、こちらも低俗な映画にもったいないくらい上質なドラマティックスコアとなっている。
ヒューゴ・フリードホファーは、同時期に活躍したミクロス・ローザやバーナード・ハーマンといった映画音楽作曲家ほどの一般的知名度がないが、これは彼が初期に主としてオーケストレーターとして活躍していたことにもよると思われる。彼はワーナー・ブラザースで、マックス・スタイナー作曲の50本以上の作品、エリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作曲の全18本中15本の作品をオーケストレートした。彼はフォックスの音楽監督だったアルフレッド・ニューマンとも親友であり、フリードホファーの作曲家としての才能を高く評価していたニューマンは、プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンに「我等の生涯の最良の年」の作曲家として彼を強く推薦した(監督のウィリアム・ワイラーはニューマンを希望していた)。結果としてフリードホファーはこのスコアでアカデミー賞の音楽賞を受賞した。
因みに、この映画「レッド・バロン」の監督ロジャー・コーマンについても触れておくと、彼はそのプロデューサー/監督としてのキャリア中で様々なジャンルの映画(ほとんど全てが低予算のB級映画)を300本以上作り、その内の280本程度で利益を出しているという天才的商売人である(これは映画業界では凄い成功率だと思う)。また、彼はハリウッドで活躍している一流の映画人の多くを発掘して世に出した功績でも知られており、ジェームズ・キャメロン、ロン・ハワード、ジョナサン・デミ、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ピーター・ボクダノヴィッチ、ジョー・ダンテ、ジョナサン・キャプラン、ルイス・ティーグ、ロバート・タウン、ジョン・セイルズ、ジョン・A・アロンゾ(撮影監督)、ネストール・アルメンドロス(撮影監督)等や、俳優ではジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロ、トミー・リー・ジョーンズ、デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ヴォーン、ブルース・ダーン等が、無名の頃にコーマンの作品に抜擢され、その才能を開花させた。彼が低予算映画ばかり作りながらもハリウッドで一目置かれている理由はここにある。コーマンが監督した主な作品には「(未公開)リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(1960)「ワイルド・エンジェル」(1966)「白昼の幻想」(1967)「聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ」(1967)「(未公開)血まみれギャングママ」(1970)「(未公開)フランケンシュタイン/禁断の時空」(1990)等があり、また製作した作品は「(未公開)H・P・ラヴクラフトのダンウィッチの怪」(1970)「ビッグ・バッド・ママ」(1974)「ビッグ・ボス」(1975)「デス・レース2000年」(1975)「バニシング
IN TURBO」(1976)「ピラニア」(1978)「モンスター・パニック」(1980)「宇宙の7人」(1980)「(未公開)ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星」(1981)「(未公開)ホーンティング・オブ・ヘルハウス」(1999)等と、まさにB級ホラー/アクション映画のオンパレードといった感じだが、一方でエドガー・アラン・ポーの有名な恐怖小説を自ら監督した「アッシャー家の惨劇」(1960)「恐怖の振子」(1961)「黒猫の怨霊」(1962)「姦婦の生き埋葬」(1962)「忍者と悪女」(1963)「(未公開)赤死病の仮面」(1964)といったゴシックホラー映画の傑作もあり、なかなかの才人である。
(2001年6月)
作曲:ヒューゴ・フリードホファー
Composed by HUGO FRIEDHOFER
指揮:ライオネル・ニューマン
Conducted by LIONEL NEWMAN
演奏:20世紀フォックス管弦楽団、合唱団
Performed by 20th Century-Fox Orchestra and Chorus
(米Intrada / Intrada Special Collection Volume 78)
1957年製作のアメリカ映画。監督は「ジョニー・ベリンダ」(1948)「人生模様」(1952)「百万長者と結婚する方法」(1953)「足ながおじさん」(1955)「ある微笑」(1958)「大都会の女たち」(1959)「すてきなジェシカ」(1962)等のジーン・ネグレスコ。出演はアラン・ラッド、ソフィア・ローレン、クリフトン・ウェッブ、アレックス・ミノティス、ホルヘ・ミストラル、ローレンス・ネイスミス、ピエロ・ジアノーニ、ガートルード・フリン他。デヴィッド・ディヴァインの原作を基にアイヴァン・モファットとドワイト・テイラーが脚本を執筆。撮影はミルトン・R・クラスナー。ギリシャのヒドラ島で海綿を採る海女のフェードラ(ローレン)は、海底で古代の秘宝とされるイルカに乗った少年の黄金像を見つける。これを聞きつけた収集家のヴィクター・パーマリー(ウェッブ)が像を手に入れようと画策するが、アメリカ人の考古学者ジェームズ・コールダー博士(ラッド)は、それを阻止し、ギリシャ政府に像を返納しようとする。ソフィア・ローレンのアメリカ映画デビュー作で、美しいギリシャの島々でのロケーション撮影が見どころの観光映画的作品。主演のラッドは身長が低いことで知られ(通説では163cm程度)、173cmのローレンとのシーンでは彼女が歩くルートに溝が掘られて2人の背の高さを調整したという。
音楽は、ハリウッド黄金期のアメリカの名作曲家ヒューゴ・フリードホファーで、ギリシャの舞台背景を描写したエキゾチックで美しいスコアを展開している。「Boy on a Dolphin」は、メアリー・ケイのヴォーカルによるドラマティックでメランコリックな主題歌(作詞はポール・フランシス・ウェブスター)。映画ではジュリー・ロンドンが歌っていたが、契約上の事情によりアルバムではケイに変更されている。この神秘的なメインの主題が秀逸で、「The Dive」「The Search」「Nocturnal Sea」「Love Scene」等でも繰り返し登場する。「Phaedra Finds the Boy」は、幻想的な女声(ソプラノは「マイ・フェア・レディ」でオードリー・ヘップバーンの歌声を吹き替えたマーニー・ニクソン)をフィーチャーしたミステリアスな海中シーンの曲。ニクソンのソプラノは、同じく海中シーンの「Nocturnal Sea」でも聞くことができる。「The Cafe」は、ジャズ・ベースのソース音楽。「Instructions」「The Shawl」「Mondraki bay」等も、エキゾチックなタッチの曲。「On the Road」は、荘厳なコーラスをフィーチャーしたドラマティックな曲。「Street Music」は、ギリシャの舞踏音楽。「The Captive」は、中盤サスペンス調に展開。「End Title」は、ドラマティックなコーラスから、主題歌へと展開するエンドタイトル。ラストに主題歌のデモ版「Boy on a Dolphin [Demo]」を収録。このスコアは、公開当時の1957年に米DeccaレーベルよりモノラルのサントラLPが出ており、その後同じ内容のCDが日本でもリリースされていたが、今回米IntradaレーベルがリリースしたCDは未発表曲を含むステレオによる初アルバム化で、1500枚の限定プレス。
ヒューゴ・フリードホファーは、マックス・スタイナーやエリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトのオーケストレーターとして知られ、自ら作曲を始めた以降も、なんと120作品程をクレジットなしで担当している。そういった境遇のためか、自らの作品に対して極めて自己批判的な人物だったが、デヴィッド・ラクシンをはじめとする親しい業界関係者たちからは偉大な作曲家として高く評価されていた。
ヒューゴ・フリードホファーが手がけた作品には「(未公開)Scotland
Yard」(1930)「(未公開)The Painted Woman」(1932)「裏切る唇(My Lips Betray)」(1933)「(未公開)I Am
Suzanne」(1933)「(未公開)Here's to Romance」(1935)「チロルの晩鐘(Sins of
Man)」(1936)「倒れるまで(Kid Galahad)」(1937)「マルコ・ポーロの冒険(The Adventures of Marco
Polo)」(1938)「(未公開)Topper Takes a Trip」(1938)「(未公開)China
Girl」(1942)「(未公開)Chetniks」(1943)「(未公開)They Came to Blow Up
America」(1943)「(未公開)Paris After Dark」(1943)「飾窓の女(The Woman in the
Window)」(1944)「救命艇(Lifeboat)」(1944)「謎の下宿人(The Lodger)」(1944)「(未公開)Roger Touhy,
Gangster」(1944)「勝利の園(Home in Indiana)」(1944)「(未公開)ミッドウェイ囮作戦(Wing and a
Prayer)」(1944)「戦うロビン・フッド(The Bandit of Sherwood Forest)(1946)「(未公開)So Dark the
Night」(1946)「我等の生涯の最良の年(The Best Years of Our
Lives)」(1946)「(未公開)ボディ・アンド・ソウル(Body and Soul)」(1947)「(未公開)Wild
Harvest」(1947)「気まぐれ天使(The Bishop's Wife)」(1947)「ヒット・パレード(A Song Is
Born)」(1948)「(未公開)The Swordsman」(1948)「(未公開)Adventures of
Casanova」(1948)「(未公開)Sealed Verdict」(1948)「ジャンヌ・ダーク(Joan of
Arc)」(1948)「(未公開)Enchantment」(1948)「戦乱の花嫁(Bride of
Vengeance)」(1949)「(未公開)三人の帰宅(Three Came Home)」(1950)「(未公開)No Man of Her
Own」(1950)「別働隊(Captain Carey, U.S.A.)」(1950)「折れた矢(Broken
Arrow)」(1950)「恐怖の一夜(Edge of Doom)」(1950)「西部の二国旗(Two Flags
West)」(1950)「(未公開)群狼の街(The Sound of Fury)」(1950)「地獄の英雄(Ace in the
Hole)」(1951)「(未公開)Queen for a Day」(1951)「イエロースカイの対決(Face to
Face)」(1952)「(未公開)The Marrying Kind」(1952)「(未公開)The Outcasts of Poker
Flat」(1952)「嵐を呼ぶ太鼓(Lydia Bailey)」(1952)「決戦攻撃命令(Above and
Beyond)」(1952)「東方の雷鳴(Thunder in the East)」(1952)「ホンドー(Hondo)」(1953)「(未公開)Man in
the Attic」(1953)「ヴェラクルス(Vera Cruz)」(1954)「夢去りぬ(The Girl in the Red Velvet
Swing)」(1955)「ハルコア号の冒険(The Secret Sharer)」(1955)「白い羽根(White
Feather)」(1955)「恐怖の土曜日(Violent Saturday)」(1955)「一攫千金を夢見る男(Soldier of
Fortune)」(1955)「(未公開)黄金の都(Seven Cities of Gold)」(1955)「雨のランチプール(The Rains of
Ranchipur)」(1955)「殴られる男(The Harder They Fall)」(1956)「(未公開)流転の女(The Revolt of
Mamie Stover)」(1956)「ならず者部隊(Between Heaven and Hell)」(1956)「島の女(Boy on a
Dolphin)」(1957)「めぐり逢い(An Affair to Remember)」(1957)「陽はまた昇る(The Sun Also
Rises)」(1957)「若き獅子たち(The Young Lions)」(1958)「黒船(The Barbarian and the
Geisha)」(1958)「大戦争(In Love and War)」(1958)「(未公開)愛は憎しみの彼方に(Woman
Obsessed)」(1959)「太陽の谷(This Earth Is Mine)」(1959)「嘆きの天使(The Blue
Angel)」(1959)「戦雲(Never So Few)」(1959)「(未公開/TV)Outlaws」(1960)「片目のジャック(One-Eyed
Jacks)」(1961)「第三の犯罪(Homicidal)」(1961)「酋長ジェロニモ(Geronimo)」(1962)「(未公開)野獣になった王様(Beauty
and the Beast)」(1962)「(未公開/TV)Empire」(1962)「侵略戦線(The Secret
Invasion)」(1964)「(TV)原子力潜水艦シービュー号(Voyage to the Bottom of the Sea - Turn Back
the Clock, - The Price of Doom, - The Mist of Silence, - The
Fear-Makers)」(1964)「(未公開/TV)The Guns of Will Sonnett」(1967)「(TV)アイ・スパイ(I Spy -
Tag, You're It, - Vendetta)」(1966〜1968)「(未公開/TV)Lancer」(1968)「(未公開/TV)The
Over-the-Hill Gang」(1969)「レッド・バロン(The Red Baron, aka Von Richthofen and
Brown)」(1971)「(未公開)Die Sister, Die!」(1972)「(未公開)Private Parts」(1972)等がある。
ヒューゴ・フリードホファーは、1945年の「飾窓の女」、1947年の「気まぐれ天使」、1948年の「ジャンヌ・ダーク」、1953年の「決戦攻撃命令」、1956年の「ならず者部隊」、1957年の「島の女」「めぐり逢い」、1958年の「若き獅子たち」でアカデミー賞の劇・喜劇映画音楽賞/作曲賞にノミネートされ、1946年の「我等の生涯の最良の年」で同賞を受賞している他、1951年の「地獄の英雄」でヴェネチア国際映画祭の音楽賞を受賞している。
(2008年9月)
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