Film Music Seminar in UCLA
 


Goldsmith at UCLA Extension

私がL.A.に留学してカリフォルニア州立大学で映画の製作を学んでいた際に、作曲家のジェリー・ゴールドスミスがUCLAで映画音楽に関する公開講座を開くと知り、映画音楽ファンでありゴールドスミスのファンでもあった私は取るものも取り敢えず申し込んだ。 講座が開かれたのは1986年の11月22日のことである。

この講座はその当時完成したばかりの新作映画(もちろんゴールドスミスが音楽担当)の試写会を兼ねる形になっており、「Lionheart(未公開)」というエリック・ストルツ主演の史劇と、「勝利への旅立ち(Hoosiers)」というジーン・ハックマン主演のバスケットボールを題材にした映画の2本がUCLAのMelnitz Hallで上映された。 上映の後で、作曲家本人と各々の映画を監督したフランクリン・J・シャフナー(故人)とデイヴィッド・アンスポーをゲストに迎えたパネルディスカッションがあったのだが、ここでの司会はやはり映画音楽作曲家で「シルバラード」等のスコアを担当したブルース・ブロートンだった。 

フランクリン・J・シャフナー監督とゴールドスミスのコラボレーションは有名で、彼らは「七月の女」、「パピヨン」、「猿の惑星」、「パットン大戦車軍団」、「海流の中の島々」、「ブラジルから来た少年」といった優れた作品を残しているが、この講座の際に上映された「Lionheart」はこのコンビの最後の作品となった。 この映画は、エリック・ストルツ扮する若き騎士が、子供たちの十字軍を率いて獅子心王リチャード(ニコラス・クレイ)を捜し求める旅の過程で、幾多の試練を切り抜けていくという史劇で、ストーリーは単純だが、シャフナー監督らしい風格ある演出による佳作であり、これが(米国でも)劇場では殆ど上映されなかったことは非常に残念である(米国ではレーザーディスクが発売されているが、私がUCLAで観たVersionとは若干編集が異なるようである)。 ゴールドスミスの音楽は、彼の得意とする史劇スペクタクル(「風とライオン」、「マサダ」等の傑作がある)の中でもベストの1つに挙げられる見事なスコアであり、映画の感動を大いに盛り上げていた。

上映後のシャフナー/ゴールドスミスによるパネルディスカッションも、映画に音楽を付けていく過程での監督と作曲家とのやりとり等、私にとっては非常に興味深いものだった。 シャフナーとゴールドスミスは永年コンビを組んでいるので、お互いを深く信頼しており、くどくどと説明しなくとも、監督が欲する音楽を作曲家が提供するという最良の関係だったようだが、それでもシャフナーはラジオから流れて来るクラシック音楽を聞いていて、「これを使おう」などと突然言い出し、ゴールドスミスを驚かすことがあったらしい。 また、ゴールドスミスはシャフナーの作品を全て担当している訳ではない。 シャフナーが監督した「ニコライとアレクサンドラ」という史劇の音楽はゴールドスミス作曲ではないが、シャフナーは別に彼が適任でないと考えたわけではなく、本来第一希望ではあったもののスケジュールが合わず、やむを得ず別の人間に頼んだという。 この映画の音楽は「オリエント急行殺人事件」等で知られるイギリスのベテラン、リチャード・ロドニー・ベネットが担当したが、結果としてゴールドスミスに頼んだ場合とほぼ同様の高いクオリティのスコアを得ることが出来た、とのシャフナーのコメントに対して、ゴールドスミスが「あれは素晴らしいスコアだった」と同意していたのが印象的だった。 永年コンビを組んでいるパートナーが別のアーティストと組んだ作品を手放しに誉めることができるというのは、よほどお互いに信頼し合っている証拠だろう。 ただ、ベネットによる「ニコライとアレクサンドラ」のスコアが見事な映画音楽であったことは事実である。

「勝利への旅立ち」は、何の予備知識もなく観たので、最初はジーン・ハックマンとバーバラ・ハーシーによる渋い大人の恋愛ドラマかなと思ったが、これが実に計算された演出による青春スポーツ感動ドラマだったのには驚いた。 脚本や演出手法はこの手のドラマの常套手段なのだが、ラストはどうしようもなく盛り上がってしまう。 演出の計算があざとくなく、自然な感動をもたらすところがこの監督の巧さだろう。 ゴールドスミスの音楽は、リズミックなシンセサイザーとオーケストラを組み合わせたもので、これまでにないタッチのスコアであり、極めて感動的。 彼のベストスコアの1つだろう。

上映後のディスカッションで、監督のアンスポーが語ったところでは、彼と脚本家のアンジェロ・ピッツォは共にインディアナ州の出身であり、このストーリーはインディアナの田舎の高校で実際にあった有名な話らしく、彼らはこれを映画化するのが夢だったという。 確かに彼らの描き方には他人事ではない共感がこめられている。 ゴールドスミスもこの映画がいたく気に入ったらしく、後にこの監督・脚本家による似たような題材の「ルディ 涙のウイニング・ラン」という映画のスコアも担当している。

このUCLAでの講座の参加者は音楽、または映画を勉強している学生が中心であり、皆熱心にゴールドスミスや監督の話に聞き入っていた。 ただ、単なるサントラ・コレクターも多数参加しており、質疑応答の際に、リドリー・スコットの「レジェンド」でスコアがリジェクトされたことをどう感じたか、という芸能レポーター的な質問や、「ポルターガイスト」のテーマはホラー映画なのに奇麗すぎて変だ、という見当違いのクレーム等があり、ゴールドスミスも少しムっとしていた。

いずれにせよ、一般の大学でこんな講座があるのは、映画産業が深く根付いているハリウッドならではであろう。

Top


Film Music Seminar by Richard Kraft

L.A.留学中にUCLAでまた別の映画音楽に関する公開講座があったので、こちらも受講してみた(1987年1月6日〜)。 この講座の講師は、当時サントラ盤レーベルVarese Sarabande社の副社長だったリチャード・クラフトが担当したが、シリーズ講座になっていて、毎回有名な映画音楽作曲家がゲストとして参加し、フィルムスコアに関するディスカッションを行った。 登場したゲストには「十戒」、「大脱走」、「荒野の七人」、「アラバマ物語」等の大ベテラン、エルマー・バーンステインや、フランソワ・トリュフォー監督の諸作品をはじめ「イルカの日」、「ジュリア」、「リトル・ロマンス」等に素晴らしいスコアを提供したフランスの名作曲家ジョルジュ・ドルリュー等のビッグ・ネームも含まれており、映画音楽ファンとして、短期間にこれら作曲家たちの話を生で聞くことができたことは非常に貴重な体験だった。

リチャード・クラフトという名前はそれまでにもサントラ盤のライナーノーツ等で見かけていたが、実際に彼の話を聞いてみると、まさに「映画音楽野郎」そのものの実に共感の持てる男だった。 大学を出た後、映画会社に勤めたが、その会社で未公開映画をディストリビューターに見せる時のTemporary Track用にたった1枚のレコードを使いまわしにしているのを見て、自分のサントラ盤コレクションを持参して使ってみせたところ、会社の上司にいたく気に入られ、いきなりその業務の担当にさせられたという。 その後、Varese Sarabandeに入社したが、その動機は、彼自身がVareseのBest Customerだったので、Vareseに入ってしまった方が安くつくと考えたかららしい(?)。 Varese入社後に、多くの映画音楽作曲家と仕事をしたが、その誰もがサントラ盤を通してよく知っていた人物ばかりであり、とても初対面とは思えなかったという。 実際に会って話をしてみると、彼らの書くスコアは彼らの人間性そのものであり、音楽を通じて彼らを熟知していたクラフトにとっては、まさに旧知の友人たちのように思えたのだろう。 私自身、このシリーズ講座において、それまでに何度も音楽を聞いて感動させられてきたドルリューやバーンステインから直接話を聞くことができたわけだが、いずれも彼らの書く音楽そのものの素晴らしい人物だった。

ジョルジュ・ドルリューは、それまでサントラLPのジャケットの写真等から、非常にがっしりした大柄な人物という印象があった。 1月13日の講座の際に、ドルリューが偶然私のすぐ前の席にしばらく座っていたのだが、非常に小柄な人物だったのには驚いた。 しかも英語があまり得意でなく、講座中はずっと通訳付きだった。 その講座では、ドルリューが音楽を担当したいくつかの映画のシーンを見たのだが、最も印象的だったのは「少年の黒い馬」の続編(The Black Stallion Returns/日本未公開)でのHorse Raceのシーンだった。 この手のシーンでの最も一般的な作曲家のアプローチとしては、アクション・シーンにふさわしいブラスを利かせたダイナミックなスコアを付け、レースが進むにつれて音楽もフランティックに盛り上がっていき、ゴールを突破した瞬間に高らかにファンファーレが鳴り響く、というパターンだが、ドルリューがこのシーンに付けた音楽はそれとは全く正反対のゆっくりとしたテンポの美しいスコアで、レース中の少年と馬との心の通い合いに視点を置いた見事なアプローチだった。 ドルリューは、どんなシークエンスでも、その中の細かな出来事の1つ1つを取り上げて凝ったアレンジをするのではなく、シーン全体を1つと捉えて表現したスコアを書き、その解釈の仕方が他の作曲家に真似のできない独特のものである、というのがクラフトの意見であり、ドルリュー本人もこれに同意していた。 ところで、この夜、同じフランスの作曲家でドルリューと並ぶ名手のフィリップ・サルドが、近くのレストランで夕食をとっており、ひょっとすると途中でレストランを抜け出して講座に参加するかもしれないという情報があったが、結局彼は現れなかった。 実現していれば「French Composerの夕べ」になったところで、ちょっと残念だった。

このシリーズ講座中でも特に面白かったのは、当時まだ映画音楽作曲家としてデビューしたばかりのダニー・エルフマンがゲストで登場した回だった(1月20日)。 もともとロック・バンドのメンバーで、フォーマルな音楽の教育は全く受けていないにもかかわらず、バーナード・ハーマンとニーノ・ロータの音楽に魅せられて映画音楽の世界に入ったという話だったが、自分が書いた音楽がオーケストレーションされ、大編成の管弦楽団によって演奏されるのを生で聴いた時の興奮と感動が忘れられないと熱っぽく語っていた。 「Rock music sounds LOUD, but symphony orchestra sounds BIG!」と、しきりにオーケストラによる音楽の素晴らしさを強調しており、映画の中で不必要にPop Songが流れることに不満を述べていた(これには大いに共感)。 クラフトはエルフマンのエージェントとして、彼をティム・バートンに引き合わせて、「ピー・ウィーの大冒険」でコンビを組ませた張本人らしいが、若手の監督と若手の作曲家を組ませる時は非常にリスクが高い(どちらかがベテランの場合はなんとかなる)にもかかわらず、彼らのコンビはとてもうまくいったと語っていた。 事実、その後彼らは「ビートルジュース」、「シザーハンズ」、「バットマン」、「マーズ・アタック!」とコラボレーションを続け、互いにビッグになっていくわけで、クラフトの目に狂いはなかったと言える。 私自身、その時に「ピー・ウィーの大冒険」のビデオ・クリップを見て初めてエルフマンのスコアを聴いたが、ロックから転向したばかりの新人作曲家としては「ちゃんとした」音楽だったのに驚いた。 ただ、その後彼がこれほど売れっ子になるとは予想しなかった。 余談になるが、エルフマンの言う「自分が書いた音楽が大編成の管弦楽団によって演奏されることの興奮と感動」こそが、若手の作曲家にとって映画音楽を手がけることの最大の魅力ではないだろうか。 大編成オーケストラ用の音楽を書いているような作曲家の場合、余程成功した人物でない限り作曲した音楽が実際に演奏されることはまれであろう。 実際に演奏されて「音」にならなければ、どんなに素晴らしい交響曲の大作であっても譜面上の単なる記号にすぎない。 ところが映画音楽の場合は最初から「映像に付ける」ことが前提となって作曲されるので、どんな若手の凡作であっても必ず演奏され、録音される。 さらにサウンドトラック盤は映画の「広告宣伝物」の一種として作成されるので、録音された音楽が多くの場合アルバムの形でリリースされる(映画がコケた場合は別)。 しかもこれが大作映画となれば、演奏も世界の一流オーケストラを使ったりするし、レコーディングも最新の技術を駆使して行われるのだから、若手の新進作曲家にとっては正に夢のような話だ・・・。

このクラフトの講座には、作曲家以外でも、「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」の原作・脚本や、「スター・トレック2」等の監督を手がけ、映画音楽アディクトでもあるニコラス・メイヤーがゲストで登場し、彼が監督した「タイム・アフター・タイム」というファンタジー映画にハンガリーの大作曲家ミクロス・ローザが書いた音楽について熱っぽく語ったりしていた(2月10日)。

この講座の受講生の中にはフィルム・コンポーザー志望の熱心な学生も含まれており、質疑応答の際にもかなり専門的な質問をしていたが、その中の1人が、「これまでこのような形でフィルム・スコアリングを取り上げた講座はなかった」と、講座そのものの企画に対して謝意を述べていて、その時の出席者全員がそれに同意する空気がたちこめていた。 私がL.A.で映画製作を学んだ期間は短いので、それ以前やそれ以降にどのような講座が開設されたのかは不明だが、当時としては画期的な講座内容だったのだろう。 偶々その時期にL.A.にいて、この講座に出席できたのは幸運だったと思う。

Top


Film Music Composersへ戻る


Copyright (C) 1999  Hitoshi Sakagami.  All Rights Reserved.